「スタディアブロード」のテーマソングを歌ってくださっているひなた日姫さん。
女優・歌手として活動されているひなたさんに、ニューヨーク留学のお話など伺いました。
スタディアブロード テーマソング「FUTURE」
ーまず始めに、これまでの経歴と、現在どんな活動をされていらっしゃるのか教えていただけますか。
ひなた日姫(以下、ひなた) 札幌出身で札幌で育ち、高校卒業後に大学進学のために東京に行きました。
それまでは4歳から歌とダンスをやっていて、小学5年生くらいのときに女優になりたいなと思ったんです。パフォーマンスは歌にもダンスにも芝居にもすべて繋がっているんだと思って、演技の勉強をしに東京に出ました。そこで東京のプロダクションに入りました。
ですが、なかなか芽が出ず葛藤していました。本当は大学に行く前から留学に行きたいという夢があって、その夢を叶えたいなと思いつつも少しずつお仕事をもらえていたんです。
このまま頑張れば、と思いはじめた段階で留学の夢も諦めようかと思ったのですが、ある人に背中を押されて。その時はもう23歳だったんですが、「やはり、海外に行くべきだ」と言ってくださったんです。
お金もそんなに貯まっていなかったんですが、少し貯めていたお金と、お母さんにお願いしてついに留学したんです。
ー留学先はたくさんあると思いますが、どちらに決めたのですか?
ひなた アメリカのニューヨークに決めました。
ー留学先を探すにあたって、どんなふうに調べましたか?
ひなた まずは、Googleとかインターネットで検索しました。
「語学留学 ニューヨーク」みたいな。
もう自分のなかではニューヨークしか頭になくて、世界地図を見ればいろんな国があるんですけど、いろいろ影響を受けたこともあって、ニューヨークしかなかったです。それでネットで調べました。
ー留学先では語学学校に通われたんですか?
ひなた そうです。語学学校に行きまして。
でも、検索してみたらニューヨークには、ダンス留学とか歌の留学とかアート留学とかいろんなシステムがあって面白いなと。私はダンスをずっとやっていたので、ダンスでもよかったんですけど、ニューヨークはブロードウェイがすごいじゃないですか。それでブロードウェイに立ちたい女の子や男性がいて、バレエっぽいダンス留学が多いんです。ヒップホップだと多分L.A.(ロサンジェルス)だと思うんですけど。ですので私は歌の留学、「語学+歌」で行こうと思ってその留学システムに決めました。
語学学校に午前中行って、午後は歌のレッスンに行ったりしていました。
ー先ほどは留学に行く前の決意などをお話いただきましたが、逆に、留学することに対して不安だったり心配だったりしたことはありましたか?
ひなた はい。心配だったことは、英語力、英会話力が本当にゼロの段階で行ったんです。
高校までもそんなにたいした勉強もしていなくて。だから本当に行ったところで上達できるか、という不安がありましたね。でも、あっちでは何とかなるだろうという変な自信があったり、変なパッションがあったりして行ってしまったんですけど、私は一年という期限で行ったんですよね。だから一年で果たしてどれだけ自分は成長して帰ってこれるのかなというプレッシャーはありました。
あと、やはりすごいシビアな問題ですけど、差別を受けないか、とか。そういったことも不安要素ではありました。
ー一年という期間で、ひなたさんのなかで英語や歌はここまでできるようになりたいという具体的な目標はありましたか?
ひなた ありましたね。やはり日常英会話まではできればいいかな、というのと、歌ではよく洋楽を歌っていたのでその洋楽の意味を理解できることと、あとは発音ですね。
外国人の目の前で洋楽を歌っても恥ずかしくない、伝わるようなレベルになればいいなと。
ー出発前の準備段階で、これだけはやっておいたほうがいいと思ってやっていたことはありますか?
ひなた 周りの人たちに相談したりネットで調べたりして、現地で手に入らないものを用意しました。日本という国は環境もすごく良いですし、製品の質も高いですので。よく聞いていたのはお薬でした。例えば、頭痛薬とか薬の強さも違うと聞いていたので自分に合う薬の準備とかをしました。あとは、コインランドリーを使うことになるので、コインランドリーは洋服がボロボロになってしまうと聞いて、洗濯ネットを準備したりとかもしました。
歌のことですと、もちろん先生は外国人の先生なので、「Aメロ」「Bメロ」っていう言葉があるんですけど、じゃあそれは英語で何ていうんだろうとか、「サビ」っていうのは英語で何ていうんだろうとか、そういうことは勉強して準備していったんです。
あとは、ちょっとだけ英会話のレッスンを受けてから行きました。
ー現地についてからの最初の数ヶ月についてお伺いします。毎日の生活は朝起きてから夜寝るまではどんな生活を過ごされていましたか?
ひなた 私はホームステイに不安があって、ルームシェアを日本から探していくのもちょっと不安があったんです。それで寮に入ろうと思ったんです。2ヶ月〜4ヶ月までの寮は決めて行ったんですね。最初に住んだのは、ニューヨークのマンハッタンの下の部分にあるチェルシーというおしゃれな街で、そこで朝食と夕食がついていたので朝は必ず6時くらいには起きて、そこの現地の人達と会話しながら(朝食を)食べて学校に行きました。
基本的に学校には歩いて行っていましたね。徒歩30分以内なら歩こうと決めていたので。季節も9月に行ったのでまだ寒くない時期で、スニーカーを履いてニューヨークのいろんな高いビルを眺めながら登校しました。学校が終わったらクラスメートとランチをしたりとか、それがなかったら直帰して勉強していました。
みんなに追いつかなきゃ、という気持ちよりは本当に勉強したいという思いで留学していたので、毎日帰ったら速攻で勉強して100単語くらい覚えて。また、メモした単語とかその日の授業で(聞き取れなくて)なんかこう言ってたなという単語とかは、それに近い単語を調べたりとかやりました。
またある日は、ダンスのレッスンに行ったり歌のレッスンに行ったりしました。レッスンが無い日はほぼ基本的に家で勉強していました。ニューヨークを知るのも最初はいいと思ったんですけど、やはり夢の街なので遊んでしまうなと思って。そこはやはり心を鬼にしてなるべく勉強していったりとか。
私のなかで楽しい経験になったのは、やはり、寮なので部屋で歌の練習ができなかったんです。練習したら迷惑になってしまうなと思って。それで、最初の寮の地下にランドリールームがあって、そこで無料で洗濯とかできたんですけどすごい騒音で、防音になっていたかはわからないんですけど、そこで毎日のように歌の練習をちょこっとだけでもしたり、それをムービーに撮ってSNSで投稿したり、そういう生活をしていました。夜はなるべく早く寝て、また朝学校に行って、というサイクルを2ヶ月間はしましたね。
ーすぐにお友達はできましたか?
ひなた できましたね。日本人の子だとみなさんが思ってらっしゃるようにシャイな子が多いんですけど、ブラジルの子とかスペインの子は本当に積極的に、携帯を見ていると「何見てるの?」とか「今日ランチどこ行くの?一緒に行かない?」とか、あちらから声を掛けてもらうことも多くて。「じゃあ、あの子誘おうよ」とか、みんなでランチしたり。学校で野外学習というのも多くて、そういうのでみんなで一緒に行ったりとか。それでまた出会いや別れを繰り返すんですけど、そういうのも楽しかったりしましたね。
ーひなたさんが留学先の生活に慣れてきたなと思ったのはどんなタイミングでしたか?
ひなた (留学の生活に慣れてきた瞬間は)いつだったかな?という感じなんですけど、4ヶ月寮生活をした後に自分でルームシェアを探したんですけど、マンハッタンを出てクィーンズのほうに行ったんですね。クィーンズってブルックリンの上にあたるところなんですけど、そこで住み始めました。自分で部屋も探したし、家賃がどのくらいかかるとか、マンハッタンはこのくらい高いのに、クィーンズではこのくらいとか、大体のニューヨークの物価とか家賃までの事情とか、水道代がかからないとか、光熱費のこととか(分かるようになって)、冬は本当に寒いので自分で管理できるようになった時、自分でニューヨークで暮らしているっていう感覚になったんです。
あと、北海道出身で、北海道とニューヨークって緯度が同じなんです。寒さは冬でいうとほとんど同じくらいです。雪の多さでいうと多分、北海道のほうが多いんですけど、やはりニューヨークは冬の乾燥がすごくて。冬は本当に月1くらいのペースでとんでもない風邪を引いて、喉はカラカラ、咳き込むわ、熱は出るわで体調とか崩していたんですけど、それが終わって、1月、2月が過ぎたくらいの頃にニューヨークの地下鉄をマップを見ずに乗り回している自分に気づいた時、あ、慣れたなって思いました(笑)。
あとは、私、よく話しかけられることが多くて、道を聞かれることが多いんです。英語で普通に、「タイムズスクエアのほうに行きたいんですけど」って話しかけられる場合もありますし、ひたすら中国語で話しかけられたりとか。それと、スペイン人にずっとスペイン語で質問されて。私、スペイン人じゃないよって言ってもひたすらエスパニョール、エスパニョールって言われて。違いますから、って(笑)。でも、現地の人に見えるのかな?って。勘違いかもしれないですけど、そういうこともあって。
(最初の頃は自分が)留学生とか観光客っていう感じが絶対あったと思うんですけど、空を見上げて歩いたり。
東京に上京した頃もそうでしたけど、高いビルを見ていた時より、なんか馴染んでる感を自分で実感したときは、慣れたなぁって思いましたね。
ー日本にいた時の英語の勉強と留学先の語学学校での英語の勉強で、決定的に違うのはどんなところでしたか?
ひなた 語学学校で学ぶ英語は、結構固いなっていう印象がありました。あれ、これ日常で使うかな?とか、これはすごい文章英語だな、とか。そういうことも正直実感して。語学学校より語学学校の休み時間に友達と話していることだったり、学校外で学ぶことだったりとかのほうが、私が日常会話っていうレベルに達するまでには、そちらのほうがより使える文法を学ぶことがすごく多かったです。
私は英語で歌を作りたかったりしたので、そういう面ではリリック(歌詞)を書くときに英語を書くことは必要なんです。喋っているだけだったら日本人はカタカナで覚えちゃうと思うんですけど、学校でアルファベットでいろんな文章を書かされる時、アルファベットと頭の中の音とが掛け合わさったりすることで、(学校に行かないでただ友達作っているだけで英語ができるようになるっていうこともあると思うんですけど)やはり学校に行くことで習得できたな、っていうのはありましたね。
ただ、日本にいて喋れるようになるっていうこともよく聞くんですけど、でも語学学校に行くことで友達ができたりとか、その場でちょっとしゃべってみたりとか、その場で生きた英語を使えるというのが、これは大きいなと思いました。
ー留学先では困った時にだれか相談できる人はいましたか?
ひなた 行く前はほとんどいなくて、ただ、高校の先輩がニューヨークにいるらしいとか聞いていたので、もし困ったら連絡しようとは思っていたんですけど、最初は親戚もいない中で行ったので、頼れる人はほぼいなかったですね。でもやはり、寮に入ったというのが大きくて。ホームステイだったらホームステイの人たちに頼ることができると思うんです。寮にいると、スタッフさんとかがいて、こんなことがあったとか相談したり。英語を使うんですけど、日本人というより現地の人に相談するんですけど。そういうことを相談する人を現地で作ることができましたね。
ー留学先のここがよかった、とかここが気に入ったというところはありましたか?
ひなた すべてにおいてよかったんですけど、アメリカのニューヨークというところに絞ると、世界のいろんなところから人が移住してきているじゃないですか。地下鉄に乗っていると一列に横並びに座っていて、そこにいろんな国の人が並んでいるんです。私は他の国にはあまり行ったことがないので分からないですけど、あっちで暮らしていて「アメリカ人」に出会うってことが逆に少ないくらいということもあったりして、いろんな文化を知ることができて。海外を知るということも、海外を知った上で、うわ、こんな文化があるんだ、とか、こんな国があるんだ、とか、こんな国に行ってみたい、とか、アメリカってこんな国なんだな、とか、アメリカってすごい大好きって思ったり。加えて、アメリカはこんなで、でも日本はこうなのにとか、日本の良さをさらに知ることができて、よりいっそう日本を好きになったというのもありましたね。
あと、ニューヨークの地下鉄の地下(構内)でいろんな人が歌ったり演奏したり、地下構内じゃなくても電車の中でもボールを使って踊って、パフォーマンスをしてくれる人とかがいたりとか。
本当に “no music, no life” の言葉のとおりで、毎日音楽が耳に入ってくるんですよね。
逆にイヤホンをしないで生活したほうが(イヤホンして好きな音楽だけ聴くのもいいんですけど)毎日いろんな音楽に触れることができて、そういうところはアメリカいいな、って思いました。
ー留学生活を始めた頃と終わりの頃とでは、何がいちばん大きく変わりましたか?
ひなた そうですね。(最初は)自分に自信がなくて。歌を歌っていてもお芝居をしていても、自信が必要なのにどこかで自信がなかったり。弱い自分がいたりとか。すぐに涙しちゃう自分がいたりとか。それがダメっていうことはないんですけど、私はそこに自信をつけたいなと思っていたので、やはり自分の意見を人に言ったりとか分からないことがあればすぐ聞くとか、本当に小さなことですけどできるようになったな、とか。
自分に自信がついてキラキラできてるな、とか、よく笑うなあ、とかそういうことを実感しました。
ー留学生活でいちばん印象に残っていることはなんですか?
ひなた そうですね。人との出会いがいちばん印象的です。
私は一年半いましたけど、やはり留学で3週間しかいない子とか3ヶ月とか。仲良くなったときなのに自国に帰ってしまったりとか。現地で出会ったニューヨークの人たちもすごく優しくて、本当にそういう人たちにもう一度会いに行きたいなというのがいちばん大きくて。もちろん語学の勉強も歌の勉強も印象深いですけど、いちばんは友達との出会いですね。
ー留学生活の中で、いちばん大変だったことはなんですか?
ひなた 大変だったことは…(笑)。
大変だったことも全部、”楽しい”に変わってしまっていて。
いちばんの苦労でいうと、シビアな話で、やはり節約生活だったりするので、NYにいるとおしゃれな人も目の前にいっぱいいたりするんです。でも、自分は洋服にお金を掛けたりしていられないとか、誘惑が多かったりとかそういう(シビアな)こともありましたし。
最初はやはり孤独との闘いもありました。友達を作りたくても、話しかけてパッと友達になれてしまえばいいですけど、自分の性格もありますし、日本人ならではの自分の性格があったりとかで海外の子たちと仲良くしたくても、ちょっと(相手の)パッションがすごく強すぎて圧倒されてしまう自分がいて、遊びに行きたくてもちょっと引けちゃうなとか。そういう苦労はやはりありました。やはりそういうときに孤独を感じたりしていたんですけど、私には歌があったので歌って発散!みたいなこととか、ジャズバーに音楽を聴きに行ったりとか。そういう闘いはありましたけど、今となっては全部が楽しかった思い出です。
ー一年半という留学の期間でご自身が持っていた留学の目標はクリアできましたか?
ひなた はい、クリアできたと思います。
ー留学に行って良かったですか?
ひなた はい!すごく良かったです!
ーこれから留学に行きたいけれど不安に思っていたりする人にアドバイスを求められたら、どんなアドバイスをしますか?
ひなた まずは、絶対に絶対に留学には行ってほしいです。
もし本当に1ミリでも行きたいなという気持ちがあるんだったら、是非行ってください、と、まず言います。
不安に思っていたりですとか、国によって文化も違うので分からないですけど、その国について良い面だったり悪い面だったりも調べた上で慎重に行くのも大事ですけど、でも、ひとりひとり、人生は一度きりですから日本に留まらず、是非いろんなことをその目で見てきて噛みしめて、いろんなことを感じてきてほしいなと思います。それでもし、その国が本当に好きで好きでたまらなくなっちゃったら、住んじゃえ!っていうくらいの気持ちで行ってきてほしいです。
テーマソング「FUTURE」レコーディング風景
ーひなたさんの今後の予定や目標、将来の夢などを教えてください。
ひなた 現在25歳なんですけど、私がニューヨークから東京に戻らず、北海道に戻ってきたきっかけは、やはり、北海道から東京に出たがる人たちって昔から多いと思うんです。東京は日本の大都市でもありますし、世界から見ても大都市ですし。もちろん東京に出て、そこから海外に出る人も多いと思います。もちろん東京に限らず、福岡とかからも行く人はいると思うんですけど、今はもっと世界に目を向けて(いってほしいと思っています)。
もっともっと世界に目を向けてほしいです。
世界に一歩踏み出す素晴らしさ、楽しさというのを私の歌や仕事を通して、こんな文化もあるんだよ、とか、洋楽とか音楽に限らないですけど皆さんに知ってもらう架け橋になれたらと思っています。
ー本日はありがとうございました。
ひなた ありがとうございました!!
ー本日お話を伺った女優・歌手として活動されているひなたさんは、スタディアブロードのテーマソング「FUTURE」を歌ってくださっています。
スタディアブロードでは、初めての海外留学をサポートしています。
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